アンリアレイジは、コトバトフクでも置かせていただいたことがあるけど、非常に理屈で作っているところがあって、同時代的な美を多少犠牲にしても理屈を通す姿勢をどう考えるかで、評価が分かれるように思った。パッと見た瞬間のかっこよさこそがファッションだと考えると論理の一貫性は蛇足になる。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2014, 9月 26
論理の一貫性で服を作ってブランドをやってはいけないなんて、誰が決めたわけではないので、今回のパリコレは、ネットで見るかぎり、自分たちは科学と哲学を使って言葉で説明できる服を作っていくんだ、という自己紹介としては、とても良かったと思う。今までやろうとしてきたことが凝縮されてた。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2014, 9月 26
そこから先、発表されたデザインに対する良し悪しの評価はいろいろあると思う。今後うまくいくかの予想もいろいろあるだろう。私にはよく分からない。ただ、良いか悪いかということと、やろうとしていることに独自性があるかどうかは、別の次元で議論しなきゃいかんだろう、と思う。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2014, 9月 26
アンリアレイジは、説明がすっきりしているので、カッコいいとかかわいいとか感覚的なことはよく分からないと思っている層にも訴求する。物を見ないで言葉に踊らされる人たちに支持されるという危うさはあるけど、着ることって何だろうと考えるきっかけを常に与えてくれる存在としての意味は大きい。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2014, 9月 26
アンリアレイジについて考えるときに
なんかパリの人の反応が冷たいとか、
日本人しか褒めてないとか言ってる人いるけど、そういうこと言うひとたちのやり方って結局自分のポジショントークだし、西洋に憧れが強すぎる世代の発想だったりする。実際あきらかにそういう人に偏ってる。
— Mikio Sakabe (@mikiosakabe) 2014, 9月 27
パリコレはもちろん歴史あるし、
確固たるものだけど、
フランスの人に認められてから発信というのもあるけど、本質は
ほかのファッションウィークよりも
世界に繋がってるところだし、
そこに可能性があって、ここまでおおきくなってる。
— Mikio Sakabe (@mikiosakabe) 2014, 9月 27
パリで歴史を作った人々に
すぐさま認められるのが、唯一の正解だと思うほど、レイヤーは浅くないし、
システムが旧式のまま動いて行くはずがないので、認められ方の時差や派生の仕方は、いろいろあるとおもう。
今回のショーに関してどうもいうより、
つぶやきとかって、自由だからころ
悪意が、
— Mikio Sakabe (@mikiosakabe) 2014, 9月 27
ぼくがいいたいのは
パリに認められ方や、
いままでのパリコレの
システムの裏側知ってるとかを
武器に 自分のポジショントークとかを
わざわざするのみてると、
なんか、悲しい。
だからどうだって話ではないのですが、、
— Mikio Sakabe (@mikiosakabe) 2014, 9月 27
まあ
だけど、いろんな人が意見言いたくなる
のがすごいな。
— Mikio Sakabe (@mikiosakabe) 2014, 9月 27
批評、評論について詳しくはないですが、ぼくが考える批評、評論は
あってる、あってない、偏ってるかどうかとかより、
その人の評論そのものの組み立て方や
切り取り方がクリエイティブかどうか
だとおもいます。
そういう面で、あまりクリエイティブでないし、残念なだけです。
— Mikio Sakabe (@mikiosakabe) 2014, 9月 27
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